子なしでもいいじゃないか(子宮体癌)

31歳で子宮体癌と告げられました。子なし夫婦の日常。

癌になった原因は?(癌発覚までのまとめ)

 

さて、前回まで【体の不調から癌発覚まで】を綴って参りましたが、今回は癌の告知を受けるまでに自分の身に起きたことを時系列でまとめてみます。

そして、自分がなぜ癌になったのか、癌発覚までの日常生活や出来事を振り返って考察してみようと思います。

 

まずは私のプロフィールからご覧頂いた方が宜しいかもしれません。↓

nyankoromaru1201.hatenablog.com

 

 

 目次

 

 

【癌発覚までの時系列】

2016年3月  下腹部痛(10分程の激痛、手術するまで続いた)

2016年3月  不正出血

2016年5月  漢方薬を飲み始める

2016年7月  祖母逝去、親族とのゴタゴタ

2017年5月  大量出血(1回目)

2017年7月  家購入

2017年11月 大量出血(2回目)

2017年1月  身内の事で悩み精神科に通う、抗うつ剤(少量)服用開始

2018年2月  漢方薬やめる

2018年9月  大量出血(3回目)

2018年10月 癌告知

 

 

【2016年以前からみられた不調】

・膣カンジダが治っては再発を10年近く繰り返していた

・いつからかは忘れてしまったが(癌告知を受ける2年程前だったかと思う)水のようなおりものがドッとでることがしばしば

・性行痛、出血

・疲れるとよく不正出血がみられた

・お尻の奥が痛くて座れない事が3〜6ヶ月に1回程度起きていた

・癌告知の5年前、片側卵巣の皮様嚢腫により手術歴あり(嚢腫だけを腹腔鏡手術にて除去)

 

思い出せる症状はこのくらいだったかと思います。

気になる事があれば都度、病院へ行き診てもらっていました。

 

 

【私の日常生活から癌の要因を考察】

性格

・真面目

・気にし過ぎる

・考え過ぎる

・神経質

・ショックな事があると落ち込み過ぎる

・無理してでも頑張る

・頼まれると断れない

 

性格は典型的な癌になりやすいタイプの人間ですね。

 

 

体型

身長   157cm

体重   20歳      42kg

      21〜24歳 42~49kg

      24〜26歳 42kg

      27〜31歳    40〜42kg

 ・血液型   B型

 

基本的に幼い頃から痩せ型です。(親譲り)

21歳頃少し太り始め49kgまで増えましたが、食生活を改善することにより以前の体重まで少しずつ減量しました。

精神的ストレスがあると拒食気味になる為、すぐに痩せます。結婚した頃くらいから様々な心的ストレスが多く、酷いと40kg前後を行き来していました。(“結婚した頃”と書きましたが、ストレスの原因は夫ではありませんので誤解されませんよう)

子宮体癌の原因に肥満も関係している様ですが、私は寧ろ痩せ型です。

 

 

食生活

・好き嫌いはほぼなし

・一日三食

・結婚前→昼はコンビニおにぎり、夜は仕事帰りに弁当を買って食べる事がほとんど

・結婚後→毎日自炊、弁当持参、

・夕食時はサラダ,味噌汁は欠かさない

・出来るだけ肉食の翌日は魚食

・3時のおやつも欠かさない

・ジャンクフードは月に1回程度

・夫がスナック菓子が好きな影響もあり週に1,2回は食べていた

・揚げ物はあまり食べない

・焼肉はカルビが好き(脂好き)

 

言うほど酷い食生活ではない気がします。特に結婚してからは夫の健康も気遣い始めたので、割と健康的な食生活をしていたかと思います。

欧米(洋)食が多いと子宮体癌のリスクも増えるという情報を目にした事がありますが、決して欧米(洋)食に偏っていたとは思えません。

 

 

日常生活

・平均睡眠時間 結婚前4時間程度

        結婚後5時間程度

・運動     特になし

・酒      飲めない

・たばこ    吸わない(父親はヘビースモーカーだった)

 

明らかに睡眠は不足していました。働いている頃は毎日眠かったです。

飲酒に関しては、友人や職場の方とお酒を飲む事もありましたが、一杯飲みきれないくらい弱いです。

たばこも吸いません。試しに吸ってみた事もありましたが、私には合わなかったです。父親はヘビースモーカーでしたので、副流煙の中で元気に育ちました。

 

 

精神的ストレス

結婚した頃くらいから親族間でのゴタゴタに悩まされ、食事も喉を通らなくなることが度々ありました。

それに加えて嘔吐恐怖症もあった為、冬場になるとノロウイルスが怖くて外出や外食もあまりせず。ノロウイルスに感染したらどうしようと毎日考え込み、頭がおかしくなりそうな時期もありました。

このような事の積み重ねにより、精神的な辛さを感じ始めて精神科へ通うことになったのです。結果、嘔吐恐怖症と軽いパニック障害との診断でした。

 

 

【考えられる癌の原因】

ここまで何が子宮体癌の要因となった書き出してみましたが、主に2つあるのではないかと思いました。

1、漢方薬の服用による女性ホルモンの増加

2、ストレス

以下はあくまで私独自の考えです。

まず、漢方薬そのものが癌のきっかけになったわけでは無いと思っています。

ではなぜ?

子宮体癌エストロゲン(女性ホルモン)の長期的刺激により発生する場合があると言われています。私の場合、元々少なかった女性ホルモンを漢方の力により増やすことができましたが、その増えた状態が長期的に続いたことが悪い刺激となったのではないかと思っています。

そして性格的に物事に過敏に反応してしまう、気にしてしまうが故、そのストレスが癌への起爆剤となってしまった。

要は、女性ホルモンが増えている間に度重なるストレスが更なる刺激となり癌化したのではないかと。

 

医学を学んだ方がもしこれを読まれる事があったら、「そんなのあり得ないよ〜」と言われてしまうのかもしれませんが、思い当たることを突き詰めていくと私はこのような考えに至りました。

結局のところ、「これが原因です!」と証明できるものがのないので、誰にもわからない事なのですが。

 

 

 

【最後に】

癌を経験した私から言えることは、

  • 何事もテキトーで、無理をしない!
  • 出来るだけバランスよく食べる!
  • よく動き、よく寝る!
  • 考え過ぎない、気にし過ぎない!

 

簡単そうで意外と難しいんですよね。

でも、心掛け一つで健康を維持できるかもしれないのです。

 

 

私の経験がどなたかのお役に立てれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

次回もよろしくお願い致します。

 

 

 

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体の不調から癌発覚まで【終】癌の告知

 

こんにちは。

りり子です。

 

この記事は

体の不調を感じ始めてから

癌とわかるまでを綴ってまいります。

 

当時の記憶と、家族とのメールのやり取りや自身で書き記した記録をもとに、書いております。

つまり、過去のお話です。

 

↓前回の記事はこちら↓ 

nyankoromaru1201.hatenablog.com

 

【終】癌の告知

 

 

点滴をしつつ1時間半ほど待った頃、夫が病院に到着。

 

「お待たせ!!大丈夫か?歩けるか?」

夫の登場に思わず再び泣きそうに。

 

涙を堪え、付き添ってくれていた看護師さんにお礼を伝え、家路につきました。

 

 

これだけ当時のことをまだしっかり覚えているのに、その後のことがほとんど思い出せません。

覚えているのは、

「こんだけご飯もしっかり食べられるんだもん!癌なわけない!」

「お腹痛い…。こんなに痛いのはやっぱり癌なのかな。癌だったらどうしよう。」

毎日毎日この感情の繰り返し。

とにかく「癌」という言葉に心が振り回されてました。

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そして1週間後、結果報告の日。

 

 

夫と共に車で病院へ向かいました。

もう車に乗っている時から、恐怖と緊張で手が震えていました。

 

 

待合室に着き、呼ばれるのを待っている間が生き地獄のよう。

 

私はまだ生きられるのか、

それとも間も無く死ぬのか。

 

生きた心地がしないとは正にこのことか。

緊張で手足がぶるぶると震え、何回も何回も深呼吸を繰り返しました。

 

 

「りり子さん、一番診察室へどうぞ〜」

 

名前を呼ばれた瞬間、

心臓がキューーーーーーっと締め付けられる感じがしました。

 

 

夫と共に病室に入ると、

先生は怖いくらいの真顔でした。

椅子に腰掛け、先生からの言葉を待ちます。

 

「結果なんですが…。子宮体癌ですね。」

 

「…………そうですか。。」

 

沈黙

 

「私、癌なんですか?」

 

そう改めて聞くと、

先生が黙って頷きました。

 

「ぅ、、ぅあ゛ーーーーーーーーん!!!」

ショックというか、感情が壊れたというか。

号泣してしまいました。

 

先生は黙っています。

夫は黙って俯きながら私の背中をさすっています。

看護師さんがティッシュを持って走ってきます。

 

 

泣きながら夫に

「ごめんね。」

と伝えると、

夫は「イイんだよ、イイんだよ、」

と言いながら私の背中をさすり続けました。

 

 

「お子さんは産めなくなってしまいますが、今は里親制度もありますし…」

と、真顔だった先生は眉を八の字にし、泣いている私を宥め、フォローしようとしているようでした。

私の涙が落ち着くまで、先生も看護師さんも夫も黙って待っていてくれました。

皆んなかける言葉も無かったのでしょう。

そりゃそうだと思います。

 

涙がようやく落ち着いた頃、先生が詳しい内容を説明をして下さいました。

以下、箇条書きにします。

・癌の種類は、扁平上皮化性 類内膜腺癌

・悪性度の低いグレード1(G1)

・恐らくステージ2くらい(手術してみなければわからない)

・手術後、肉眼では見えない取りきれなかった癌をやっつける目的で、抗癌剤治療を勧める

・手術の内容としては、両側卵巣、卵管、子宮、大網を切除、骨盤内リンパ節郭清

 

また、後日CT検査を行い、他の臓器に転移がないか見てみましょうとの事でした。

 

セカンドオピニオンで、他の病院へご相談に行かれても構いませんからね。ただ、出来るだけ早く手術した方がいいので、手術日だけは確保しておきたいと思うのですが宜しいですか?」

 

先生はこのように気遣いながらお話しして下さり、その一言一言は非常に思いやりがあり、信頼できる方だと改めて感じました。

 

先生のお言葉通り、手術日を約1ヶ月後に確保して頂きました。

 

そんなこんなで癌の告知を受け、抜け殻のようになった私と夫はトボトボと病室をあとにしました。

 

さっきまで普通の主婦だったのに、今は癌患者。

もう夫との子供は見られない事が確定。

いつまで生きられるのか。

 

 

 

こうして、癌患者としての日々がスタートしました。

 

 

 

「体の不調から癌発覚まで」はここで終わりです。

次回、「体の不調から癌発覚まで」のまとめ、考察を記事にしてから、

次に子宮体癌、闘病編】を始めたいと思います。

 

  

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

次回も宜しくお願い致します。

 

 

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(できるだけ安価なものを選んで使っていました。ご参考まで。)

 

脱毛してからはこちらのケア帽子をいつも被っていました。

価格も安いので洗い替えで複数枚所持しておりました。

 

入院の際はいつもこの泡洗顔を持参しておりました。これなら泡立て不要なので点滴していても片手で洗顔できました。(ズボラなので今でも詰め替えを購入して使っています。笑)

 

骨盤内リンパ節郭清をしてからは、下半身も泡のみで洗っています。乾燥・傷・感染症予防の為にもボディタオルの使用は週一にしています。因みに現在こちらを使用しています↓。

 

 

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体の不調から癌発覚まで【15】癌かもしれない

 

こんにちは。

りり子です。

 

この記事は

体の不調を感じ始めてから

癌とわかるまでを綴ってまいります。

 

当時の記憶と、家族とのメールのやり取りや自身で書き記した記録をもとに、書いております。

つまり、過去のお話です。

 

↓前回の記事はこちら↓ 

nyankoromaru1201.hatenablog.com

 

 

【15】癌かもしれない(癌発覚まであと1週間)

 

 診察室へ戻ると、先生が改めて説明をしてくれました。

 

先ほど取ったエコー写真を指しながら、

先生「この辺りが白くなってます。検査結果が出るまではっきりしたことは申し上げられないですけど、恐らく位置からして子宮頸癌ではないかと思われます。検査部にお願いして、急いで結果を出してもらうことにしますね。あと、今から血液検査もしてみましょう。結果が出るまで一時間ほどお待ちください。」

 

そう言われて診察室をあとにしました。

別階にある採血室に向かいながら”私、癌かもしれないのかぁ”とは思ったものの、この時は特にショックはありませんでした。

というか、全く実感がなかったです。

出血はすごいけど動けるし、ご飯も良く食べられる。そんな私が癌なわけない。そんな風にも思っていました。

 

 

午後の診療も終わりに近づいている時間なので、この時間から採血をするのは私くらい。

待ち時間もなくすんなり採血をすませ、婦人科へまた戻りました。

 

 

もう婦人科の午後の診察を待つ人は誰一人おらず、私ひとりソファーに腰掛け、ひたすら時間が過ぎるのを待ちました。

貧血と待ち疲れ、検査疲れもあり、体はだるくてぐったり。

 

途中、看護師さんが心配して「診察室内にあるベッドで横になりますか?」と声を掛けてくれましたが「ありがとうございます、大丈夫です」と何故か遠慮して断ってしましました。

 

そして丁度一時間ほど待った頃、診察室に呼ばれました。

 

先生「血液検査の結果が出ましたけど、ひどい貧血ですよ。今日は鉄剤を点滴してから帰りましょう。錠剤の鉄剤も出しておくので、明日から飲んでくださいね。細胞の検査結果は、私からお願いして大至急出してもらいますので、一週間後にまた来てください。」

 

「来週は家族と来た方がいいですか?」

 

先生「そうですね・・・。」

「わかりました。」

 

先生「今日はどうやってここまで来ましたか?一人で帰れますか?」

「自分で車を運転してきました。車なので、一人で帰れます。」

そう答えたところ、先生と看護師さんから

「危ないからどなたかに迎えに来てもらった方がいい!」

と説得され、夫に電話をすることにしました。

 

ベッドに横になり、鉄剤の点滴をしてもらいながら夫の携帯に電話してみましたがなかなか出ません。仕方なく会社に電話をかけ、夫を呼び出してもらうことに。

 

「ごめんね、打ち合わせ中だったよ。どうした?大丈夫か?」

状況を説明したところ、すぐに仕事を切り上げて迎えに来てくれるとのこと。

 

電話を切ってから急激に悲しみがこみ上げ、涙が止まらなくなりました。

”本当に癌だったらどうしよう。”

さっきまであまり実感がなかったのに、急に不安感に襲われました。

泣いている私に気づいた看護師さんがティッシュを持ってきてくれ、黙ってずっと背中をさすってくれました。

 

この時の気持ちや状況を思い出すと今も泣けてきます。

今日はこの辺で。

続きは次回に。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

次回も宜しくお願い致します。

 

 

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体の不調から癌発覚まで【14】痛すぎる!拷問再び。

 

こんにちは。

りり子です。

 

この記事は

体の不調を感じ始めてから

癌とわかるまでを綴ってまいります。

 

当時の記憶と、家族とのメールのやり取りや自身で書き記した記録をもとに、書いております。

つまり、過去のお話です。

 

↓前回の記事はこちら↓ 

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【14】痛すぎる!拷問再び。

(癌発覚まであと1か月)

 

 

 4時間近く待ち、ようやく呼ばれました。

 

担当は優しそうな女性の先生でした。

先生に、今までに起きた大量出血のことや今日までの経緯を全て説明しました。

 

先生「内診してみましょう」

 

ということで診察台へ。

内診台・検診台のイラスト

 

先生が子宮を診てみると、

先生「血がまだ溜まってますね。溜まっている血を取り除きますね。」

と言ってまずは血を取り除く作業が始まりました。

カーテン越しに作業しているため、イマイチどのような作業をしているのかはわかりませんでした。想像するに、脱脂綿で何回も吸い取って除去していたのではないかと思います。

 

ある程度血が取り除けたら、今度はカメラで子宮内を診てみることに。

 

先生「・・・」

「・・・」

「んー・・・、これは良くないかもしれない」

先生がそう言うまで大して時間はかかりませんでした。

 

「え!?!?!?」

 

一緒にモニターが見えるようカーテンを開け、先生がモニターの角度を調整してくれました。

 

先生「この辺り、白くなっているでしょう?検査してみなければわからないけれど、癌の可能性もありますね。。正常な部分はこのように黒いんです。」

と言って、モニターに映る子宮内部の白くなっている箇所を指して教えてくれました。モニターには、黒い(正常な)部分より白い部分の方が広く見えます。

 

「そうなんですか...」

状況がイマイチ飲み込めない。

一年ちょっと前に癌検査した時は何も言われなかったし、この一年の間に急激に癌ができたの??と。

 

少し話が前後してしまいますが、ずっと漢方を処方してもらっていたクリニック(癌検査もしてもらった)は、8か月ほど前に通うのを辞めていました。

というのも、女性ホルモンの値も正常値まで改善し、子宮も綺麗なので妊娠希望なら今がベストタイミング。妊娠に積極的なのであれば不妊治療に力を入れている病院に通ってくださいと言われたのです。

それからは自然に妊娠すればいいなぁと思っていたので、不妊治療の為の通院もしておりませんでした。

 

 

”あの時、子宮は綺麗って言われたのになぁ...”

 この数か月の間に私の体の中では一体どんなことが起きていたのでしょうか。

 

先生「子宮頸がんと体癌の検査をしておきましょうね。」

 

 

あの滅茶苦茶痛い体癌検査をまたやるのかと思うと、気が滅入りました。

 

 

先生「気になるところの細胞をしっかり取るので、痛いと思うけれど頑張って下さいね。」

 

 

とまぁ、先生が前置きしてくれましたが

お言葉通り、これがすこぶる痛いんです。

前回の体癌検査より、より広範囲で念入りに細胞を取っているようで思わず痛みで声が出てしまいます。

「い・・・い・・・いたぃいいいいいいいいいいい・・・」

「まだ・・まだ終わりませんかぁあああああ・・・」

 

先生「もう少しだから、頑張って」

 

看護師さんも一緒に

「頑張ってね、もう少し頑張ってね」と応援してくれます。

 

 

 これは新手の拷問だ。

時間にしてみれば数分の出来事だったのかもしれませんが、ものすごく長く感じました。

 

 

検査が終わり、診察台から降りた時は貧血と痛みとでフラフラ。

診察室に戻ると先生から改めて説明をしてくれました。

 

 

続きは次回に。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

次回も宜しくお願い致します。

 

 

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体の不調から癌発覚まで【13】大学病院へ

 

こんにちは。

りり子です。

 

この記事は

体の不調を感じ始めてから

癌とわかるまでを綴ってまいります。

 

当時の記憶と、家族とのメールのやり取りや自身で書き記した記録をもとに、書いております。

つまり、過去のお話です。

 

↓前回の記事はこちら↓ 

nyankoromaru1201.hatenablog.com

 

 

【13】大学病院へ

(癌発覚まであと1か月)

 

 せっかく一蘭へ行ったのにラーメンを食べずに帰ってきた私達。

一蘭から帰宅後すぐトイレに駆け込み、いつものごとく出血が落ち着くまでトイレにこもりました。

 

その日の出血は1回トイレにこもったきり、その後は落ち着きましたが

大量ではなくとも常に出血は続いている状況でした。

 

翌日もドッと出血することが複数回。

夕方にまた多めの出血が起きたので、トイレにこもりました。

”いつまでこんなこと続けなくちゃいけないんだろう”

そう思うと急に悲しみがこみ上げ、

一人、トイレの中で泣きました。

 

明日はバイトです。

 

 

翌日。

出血はだらだらと続いていましたが、量は減ってきていたので若干の不安はあったものの、とりあえずバイトに行くことにしました。

 

(ホント馬鹿です。無理せず休めばよかったです。)

 

不安的中。

仕事中に吐き気と酷い立ちくらみに襲われる羽目に。

しかし、そこは何とか気力で持ちこたえていました。

ところがこうして働いている間にも、容赦なくかなり出血している感覚。

波のある吐き気と立ちくらみに度々襲われ、とうとう気力だけでは無理な状況まで来てしまいました。

 

”このままではお客さんのいる前で倒れかねない…”

 

そうして結局早退することに。

こうなるのが一番迷惑をかけるので、本当に最初から休めばよかったと反省しました。

夫は仕事が休みだったので車で迎えに来てもらい、帰宅しました。

 

 

この出血がいつまでも続けば貧血で死んでしまいそうな気がしました。

そこで、一度大きい病院で診てもらうことにしたのです。

 

 

翌日。

自宅から通いやすい位置にある、大学病院へ電話をしてみました。

ところが一か月先まで初診の予約はいっぱいとのこと。

予約なしでも直接病院に行けば診てもらえるが、予約の診察が終わってからになる為、相当待たなくてはならないらしい。

 

一か月なんてとても待てない!!

 

ということでさらにその翌日、車で直接病院へ向かいました。

 

午前10時半に初診外来受付を済ませ、ソファーでいつになるかわからない診察を待ち続けました。

 

 

そして午後2時。

ようやく呼ばれました。

 

 

 

続きは次回に。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

次回も宜しくお願い致します。

 

 

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体の不調から癌発覚まで【12】一蘭と悪夢再再来

 

こんにちは。

りり子です。

 

この記事は

体の不調を感じ始めてから

癌とわかるまでを綴ってまいります。

 

当時の記憶と、家族とのメールのやり取りや自身で書き記した記録をもとに、書いております。

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↓前回の記事はこちら↓ 

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【12】一蘭と悪夢再再来

(癌発覚まであと1か月)

 

 大量出血もしばらく起きていない、ということで久々にアルバイトを始めました。

 

意外と力作業も多い接客業でしたが、お陰で体力も付き、久しぶりにお給料も貰えて充実した日々を過ごしておりました。

 

職場の人間関係にも大変恵まれており、働ける素晴らしさを久々に感じることができました。

 

 

ある日、仕事で疲れ、お夕食の支度がどうしても面倒になりました。

まだ会社から帰っていない夫に

「今日、一蘭(ラーメン屋さん)に行かない?」

とメール。

 

夫は一蘭が大好きです。私も大好き!

思った通り

「いいね!いこういこう!」

と返事が来ました。

 

お夕食の支度もサボれるし、大好きな一蘭が食べられるなんて~♪

ウキウキで夫の帰りを待ちました。

 

我が家の近くには一蘭はないので、いつも車で行きます。

夫が帰ってきてから、私の運転で一蘭へ向かいました。

 

車中ではお互いの仕事の話や、久々の一蘭への思いを語りました。

そんなハッピーな空気しかない中、私にだけ一気に不穏な空気が流れました。

 

あと5分で着くぞ、という時にドッと出血する感じが。

 

運転しながら「ヤバい!」という思いと共に変な汗が出ます。

 

夫に

「こんな時にごめん。またすごい出血し始めてるかも。このままじゃ一蘭行けないかも。」

 

 

「え!?ただの生理じゃない??きっと大丈夫だよ。運転代わるよ!」

 

そう言ってくれましたが、残念なことに出血してる感じが明らかに生理の出血ぽくないのです。

もう少しで着く距離でしたので、取り急ぎそのまま私が運転して一蘭へ向かいました。

 

 

無事、駐車場に到着。

あまり人目に付かないような端に駐車し、急いで後部座席に移動。

血が染みていないか、運転席のシートをすぐ確認。セーフ。

後部座席の窓をサンシェードで覆い、常に持ち歩いている過多月経用のナプキンを後部座席で素早く装着。

車の中でこんなことする羽目になるなんて。

 

 

この状態では落ち着いてラーメンなんて食べられる気がしません。

それに早く帰らないとこのナプキンでは間に合わないほど出血するかもしれません。

一蘭に着いたのに・・・ラーメンを食べずして帰ることにしました。

楽しみにしていた夫は少し残念そうにしておりましたが、

「またいつでも来れるから!」

と言って諦めてくれました。

2人してノリノリでここまで来たのに。

自分も残念でしたが、それよりも夫に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

 

運転を夫に交代してもらい、

ラーメン屋の駐車場にいるにも拘らず腹ペコの夫婦は何も食べずに家路につくことに。

あぁ・・・一蘭よ、さようなら・・・泣

  コロナが流行りだしてから、また行ってないなぁ。

 

続きは次回に。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

次回も宜しくお願い致します。

 

 

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体の不調から癌発覚まで【11】おとなしくなった子宮

 

こんにちは。

りり子です。

 

この記事は

体の不調を感じ始めてから

癌とわかるまでを綴ってまいります。

 

当時の記憶と、家族とのメールのやり取りや自身で書き記した記録をもとに、書いております。

つまり、過去のお話です。

 

↓前回の記事はこちら↓ 

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【11】おとなしくなった子宮

(癌発覚まであと11か月)

 

 こんなフラフラな状態で一緒に浅草には行けない。。

 

ということで、地方から来た叔母夫婦に最寄駅から浅草までの乗り換え案内を手書きし、それを託して二人で浅草観光に行ってもらうことにしました。

 

無謀かとも思ったのですが、私が一緒に行って面倒なことになるよりは、よっぽど安心だと判断しました。

それに叔母は東京の地理は全くもってわかっておりませんが、叔父は頭が良くて機転が利くので大丈夫かな、と。

 

「大丈夫!私らには口が付いてるんだから、迷ったら聞いて教えてもらうよ!」

 

そう言ってくれて私も安心して二人を送り出し、再びベッドにもぐりこみました。

 

 

少し眠ったところで、またドッと出るタイプの出血の感覚。

急いでトイレへ。

ぶっ倒れて連絡がつかなくなる可能性もありうるので、仕事中の夫に現状をメールしておきました。

 

しばらくトイレにこもりましたが、前回ほどの大量出血にはならずトイレから出ることができました。

(と言ってもやはりレバーのような塊が出たり、結構な量の血が出ました。)

 

その後は出血も落ち着いており、ゆっくりと過ごすことができました。

 

そして、割と早く叔母夫婦が帰ってきました。

私のことを気にかけて早々に帰ってきてくれてたんだと思います。

せっかく東京へ来たのにこんな事になってしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

叔母夫婦は、私が大好きなお菓子の期間限定品をお土産に買ってきてくれました。

新宿で見つけて、買ってきたそうです。泣

 

その後も大量の出血は起きず、翌日は無事に叔母夫婦をお見送りすることができました。

 

今回の出血はそれほど大事に至らず済みましたが、なんてタイミングの悪さ。

自分の体を恨みました。

 

 

この日から次に起きる大量出血まで(約10ヶ月後に起きるのですが。)私の子宮は割とおとなしくしてくれていました。

 

 

とは言っても大量出血こそないものの、相変わらず生理の二週間ほど前になると、一日に3度くらい10分程度の下腹部痛に襲われました。これがまたどんどん痛みがひどくなっていました。痛すぎてとても立っていられないほど。

車の運転をしているときに痛くなると、痛くて安全に運転ができなくなるので車を路肩に寄せて痛みが引くまで待つ。

買い物中に痛くなると、カートを邪魔にならなそうな所に置き、ベンチまで何とか歩いて休憩。外出先で痛くなると、痛みと不安で変な汗が出てきました。

(大体の買い物は、大量出血事件があってから夫が一緒に行ってくれていましたが。)

 

 

生理が来たら来たで生理痛はひどく、薬がないと耐えられない痛みでした。

腹痛のイラスト(女性)

 

そんな中、大量出血がしばらく起きていないので「もう大丈夫かな?」と思い、私はアルバイトを始めることにしたのです。

 

無謀かとも思いましたが、なかなか子供もできないし専業主婦を卒業したかった。。。

 

 

 

 続きは次回に。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

次回も宜しくお願い致します。

 

 

↓↓治療中役立ったもの↓↓

(できるだけ安価なものを選んで使っていました。ご参考まで。)

 

脱毛してからはこちらのケア帽子をいつも被っていました。

価格も安いので洗い替えで複数枚所持しておりました。

 

入院の際はいつもこの泡洗顔を持参しておりました。これなら泡立て不要なので点滴していても片手で洗顔できました。(ズボラなので今でも詰め替えを購入して使っています。笑)

 

骨盤内リンパ節郭清をしてからは、下半身も泡のみで洗っています。乾燥・傷・感染症予防の為にもボディタオルの使用は週一にしています。因みに現在こちらを使用しています↓。

 

 

個人的におススメ品

我が家の風呂場ではこれを使っています。

石鹸がドロドロにならないし見た目もスッキリ。